【就活】理系院生の自分が推薦枠をけって営業職に就職した理由(就活生さんからのリクエスト記事です。ネタ提供ありがとうございます!)
はーい、どうも。スナギツネ営業マンです!
実はこっそりとSNSアカウントを開設しまして、細々とやっているわけなんですが、そこでこのブログを知ってくれた就活生から
スナギツネさんは何で理系院生なのに商社を受けたり営業職についたのですか?
という質問を頂きました。
もちろんその場のdmにも回答したんですが、話せば長くなるということで本人に許可を頂いて記事で返そうと思います。
なかなか自分で書きたい事を見つけて書くっていうのは、割とエネルギーがいることでもあるんですが、誰か一人でも必要としてくれている情報だと分かっていれば俄然やる気が出るのでネタ提供は死ぬほどありがたいですね・・・
ということで、今回は僕の就活生時代をただただ振り返る記事になるんですけど、今、理系だけど理系の職種にあんまりピンと来てない方や、就活生と仕事が巡り合うっていうのはどういうことなんだろうと思っている方はぜひ読んでください!
なお、あんだけ話し方や構造化の記事を書いておきながら、今回は割と時系列に沿って説明したほうが分かりやすいと思いますんで。。。
つらつらと自分語りをする記事になっております。
趣旨に合うのでこういう形式にしましたが、まあがんばって書いていこうと思います。
<関連性の高い過去の記事>
〇就活を始めるまでの人生をざっくり振り返る
少し僕自身の経歴のお話になりますが、お付き合いください。
ここでは就活を始めるまでの人生を自分がモチベーショングラフとかに書いた物事を中心に振り返っていこうと思います。
小学校までさかのぼりますが、正直地元はそんなに治安が良くはなくて、割とその辺を半ヘルの原付が走り回っているようなそんなところです。
(あの頃はそんなこと思ってませんでしたが、大学院生になってキャンパスの近くで一人暮らしするようになって、さすがに気づきました(笑))
ただ、なんとなく地元の中学生を見た、その時の、それまでそんなに勉強が好きなわけでもなくて地元の中学校に行くんだろうなと思っていた自分が、急に親に「中学受験をさしてくれ!」とお願いしたのを今でも覚えています。
そこからなんだかんだって勉強して中高一貫校に滑り込んだんですが、その時の塾の先生がすごい人だったんです。
というのも、小学校の時の僕は「ズッコケ三人組」と「かいけつゾロリ」を読み漁っていたことがあって国語がやたら得意でした。
が、数学に関しては塾に入るのが遅すぎて、分数の足し算や掛け算を周りの子が習って出来るのに自分だけやり方の検討すらつかないという状況からのスタートでした。
かなり苦手意識がありましたし、実際全然テストも出来なかったですし、めちゃくちゃ苦手意識があったんです。
でも、その塾の先生だけは「この子は絶対に理系です」と言いきっていました。。
考え方が理系っぽかったらしいんですけど実際、中高で理系を選んで勉強していたので「凄かったなぁ、あの先生」といまだに思ってます。
そんなわけで入った中高一貫校ですが、中学高校とずっと部活動に明けくれていて、本気で受験勉強を始めたのも高三の最後の大会が終わった5月ぐらいでした。
そこから死ぬ気で勉強して、何とか通える範囲で一番いい大学に通うことができました。
大学に入る前、中高モテなかった僕は「大学に入ったら自分がやっていたラケットスポーツのサークルに入って、初心者の女の子に優しく教えてあげて彼女を作るんだ!」と考えていたのですが・・・
いざサークルの体験に行ってみたら、まぁ合わない。
なんだかんだ自分は、汗だらけになって苦しいスポーツをするのが好きだと改めて実感させられました(笑)
そんな時に拾ってもらったのが大学で入った体育会の部活です。
その部活は大学でも有名なブラック部活で、何がブラックかというと週に1・2回ぐらいしか家に帰れない。それ以外は全部泊まり込みで、学校以外の時間は基本部活動している。というようなそんな部活でした。(笑)
ただ一生懸命食らいついた結果もあってか、成績としては関西で一番になれました(笑)
それぐらい本気でやっていたので、大学の単位も出席点のあるものをしっかり取って、レポートを出すだけとりあえず出して、ギリギリ単位を取り切ると言うようなスタイルで卒業しました。
大学院の院試は四回生から配属された研究室の先輩からもらった過去問を何とか丸暗記して乗り切り、大学院ではその部活のコーチとして部活にいそんでました。
この部活のコーチっていうのが、またしんどくて。
朝3時50分に起きてバイクに乗ってクラブハウスに行くというような生活をしていました。正直、気が狂うかと思うぐらいに眠かったです。バイクで居眠りして本当に死ぬかと思った時期もありました。。。
もちろん研究もやっていたんですが、研究室に居るよりも部活のクラブハウスかエニタイムフィットネスにいる時間の方が長かったと振り返ってみて思います。
そんなこんなしてて大学院一回生の就活の時期がやってきました。
一個上の先輩方もほとんどの人が推薦で研究職や生産の管理などの仕事についていらっしゃいました。
ただ僕自身すさまじく感じていたのは「推薦があるから」みたいな理由で自分がこれから何年もする仕事を選ぶのはかなりリスキーじゃないかなということです。
ちゃんと文系の仕事も全部見て悩んでから、推薦を取ってそこそこの企業の研究職に就くのも遅くないし、そっちの方がいいんじゃないかな
と言う風に考えていました。
結果的には安泰と言われていた推薦枠を捨ててまで就活をしたわけですが絶対やっといてよかったなというふうに思います。
これが僕の就活のきっかけです。
〇人生を分けた「旧帝理系院生の自分」と「部活ガチ勢の自分」
就活をするにあたって上に書いたみたいに色々と自分の人生を振り返って自己分析をするという機会が多くありました。
そんな中でやっぱり自分の人生の軸っていうのは2つあって、それが何回も出てきているように理系っていう属性と部活ガチ勢っていう属性でした。
大学の単位もギリギリでしたし院試も滑り込みとは言え、中高・大学・大学院12年間とずっと理系の勉強をしてきました。
かたや同じぐらいの長さ、真剣に部活をやって来ました。
同じ12年間ほどの期間を費やしてきた、この二つの要素こそが自分のこれからの人生でも続いていくんだろうなというふうに感じていました。
じゃあ次には、
この二つのどっちが自分本来の姿なのか
ということを考えていました。もしくは、そんな表現じゃなくても、
どっちをやっている時の自分が好きか
という風に考えるようにしていました。
やっぱり仕事をする中では、ワクワクしていたいし、そうじゃないと自分は飽き性なので続かないだろうなというふうに感じていたからです。
その面で行くとやっぱり確実に部活だなというふうに思いました。
特に大きかったのは
周りからやらされていた努力か、
自分から苦しい道を選んでしていた努力か
というところです。
部活なんてバイトもできないし、正直めちゃくちゃきついし、逃げることなんていくらでもできたんですけど、自分なりに目標を立てて、ほんまに生活を犠牲にして取り組んでいたのは、やっぱり部活だったんですね。。。
ここで何も考えずに
理系院生だし理系の仕事でいいや
そういうふうに考えていたら、ここまで多分考えなかったと思います。
また、部活で何が得られたのかも、しっかり考える機会はなかったと思います。
そういうことであれば多分仕事も今やっている仕事ではないでしょうし、こういうブログを書こうと調整するような社会人にはなってなかったと思います。
〇スポーツに青春を費やして得たものとは
じゃあその部活動、もしくはスポーツについて、
なんでそんなに頑張れたのかということ
その部活動を終えてどういう成長ができたのか
という部分について深く掘って行きます。
前者についてはいろいろ考えたんですが、結論から言うと
①色んな人と意見をぶつけあいながら同じ目標に向かって努力をして行く楽しさ
と
②その努力が報われないこともあるかもしれないけど、それを達成した時の喜びを知ってしまったからそれをもう一度味わおうと言う強い気持ち
が自分の中にあって、それがモチベーションになっていたんじゃないかなというふうに分析をしました。
やっぱり思いどうりにうまくいかないことが多いし、
(今やっているゴルフでもまさしくそうなんですが・・・怒)
自分自身運動神経がそんなにいい方ではなかったので、人より上達が遅いっていうことがかなりありました。
初めてやったベンチプレスも全然上がらなくて、すぐに肩も腰もいろんな関節を痛めましたし、つらい時期もありましたが。。。
何か自分の中で壁を乗り越える喜びは中学の部活動の頃から知っていたので、それに病みつきになっていたんじゃないかなというふうに思います。
壁を越える頃には何かしら自分の中で成長を感じるので、それ自体も楽しみに部活動をしています。
ただ、それも「自分一人でできること」や「生まれてくる発想」っていうのは限られていて、やっぱり自分と違う意見を持った人間と交流して、いろんな観点でそのスポーツに向き合うことで、意外なところから上達のヒントが得られたり、また自分の意見がその人に大きな影響を与えることが少なからずあったので、そういう「いろんな人とのつながり」っていうのは大事にしたいな、というふうに考えていました。
上は二つ目にもつながってくるんですが、「どういう成長ができたのか」という部分について僕は、人間としての深みが増したというふうに就活の時はお話しました。
僕はコーチとして、他の大学のコーチと交流したり、監督と話をする機会があったんですが、一番自分にとって大きかったのはある強豪国のコーチが、たまたま日本に来ていて、その人が日本のコーチに向けてお話をする会がありまして、それに参加したときのことです。
自分や自分の周りの人間が当たり前だと思っていたことが向こうの人にとっては当たり前じゃなかったり、逆に自分たちがあまり重要に思っていない事を向こうのコーチはプロレベルの選手に対して何度も言っていたり。
そういう意見のギャップがあると知って自分の後輩に対する教え方にもかなり幅ができたことが印象的でした。
自分が「これはこうやろう」と思っていたことが人によって見方が違うとわかっているだけで、今、自分が見ている選手がどういうことを考えているのかに対する想像力も深まりますし、違う観点はが増えれば増えるほど表現も豊かになって行くのを感じました。
いろんな人と触れあって考え方に深みができただけじゃなくて、それに伴ってアウトプットの幅・自由度・表現力が格段にアップしたなって言うのを自分でも感じていたので、この部分は大事にしたいというふうに思っていました。
〇コーチングと営業の関係性
で、もうひとつかなり就活で影響した部分としては
コーチングが思いのほか楽しかった
という部分があります。
自分はコーチとして選手の指導をしていたのですが、その子たちが良い成績を残した時に自分が優勝した時と同じぐらい嬉しかったのを覚えています。
自分は、自分だけの成功じゃなくて、自分が関わった人成功も心から喜べるんだな。そういう人間性も持ち合わせているんだな。というふうに気づきました。
今もブログとは言え、こういうふうに困っている人の為に時間を作って記事を書いているということは、何かしらそういうコーチングだったり、人のために何かしてあげることに関して適正があるんだなというふうには思います。
じゃあそのコーチングのやりがいだったり楽しみ方っていうのは僕の中で3つあると思っていて
①相手の困っていることをこっちから引き出してあげて一緒に解決方法を考えているところ
②その子のためになるならどんな指導法でも正解であること。自分で練習メニューを作り出せること
③自分の1人の努力が10人にも100人にも影響力を持つ。
ということです。
①に関して、相手が、困っていることをなかなか言葉にできない状態でも、こっちから何かしらヒントを与えたり、イメージを投げかけたりすることで、相手が腑に落ちた顔をしたとき。そして、明らかに上達したときはかなりやりがいを感じていました。
なかなか自分一人で解決できない所に対して、僕が関わったことによって前に進んで行く。それっていうのがかなり面白かったの覚えています。
僕の中の価値観の一つでもあるんですが、自分がいたからこそ何か変化が生まれるっていう仕事をすごい大事にしています。
その価値観も、こういうところから来たのかなというふうに考えています。
②に関してはもう書いている通りで、練習メニューが決まっていて、ただそれをやるんじゃなくて、割と自由にその子のためを思って新たな練習メニューを生み出せる。新たな指導方法を押して挙げられる。そういう立場がすごい面白かったの覚えています。
もちろん首をかしげられることもありましたが、さっきと同じようになんかささるものがあれば結果が生まれてくる。そういう試行錯誤が選手じゃない立場でもできるんだ面白いなというふうに考えたの覚えています。
③に関しては単純に効率がいいなあというふうに考えています。僕が選手としてどんだけ頑張っても結局僕ひとりの成果しか生み出せないんですが、僕がひとりの力で十人に教えたとしたら十人が何かしら良い成果を出せるはずなんです。
それがまた後輩につながっていてさらに多くの後輩がうまくなっていく。そういう一人で完結せずに影響が伝播して行くような、そういうところにすごいやりがいを感じていたのを覚えています。
要するに
①真に相手のためになる仕事であること
②自分のアイデアや工夫を活かせること
③自分の努力が広い範囲にいい影響を及ぼすこと
が大事だと気付いたんですね。
それに加えて大事にしたいところは少し前の部分に書いた、
④いろんな人の考え方に触れることができること
このあたりは外したくないと考えていました!
これって会社さえ選べば割と営業の仕事に近いんですね。
特にお客さんのお困りごとに対して、自分の会社から解決策を提案して、それを買っていただくっていうところに関しては「相手のためになる仕事」じゃないかなというふうに思っています。
逆にこれは就活の中から思っていましたが、相手のためにならないのにものを売りつけるような仕事だけは絶対に嫌だと思っていました。
また、営業に関しては相手がいて自分がいるような仕事なので例えば対人面でこういう風に話そうとかこういう風に売り込もうみたいなアイディアは自分自身で試すことができますし、色んなお客さんに会うので④のいろんな考え方に触れることもできるんじゃないかなというふうに考えていました。
〇じゃあ、どの会社の、なんの仕事に就こうか。
恥ずかしながら、まず初めに見たのは「会社別年収ランキング」でした。
もうこれは今だからそんなものをみても仕方がないと断言できるんですけど、当時はやっぱり気になっていたので、見てました。
で、なんとなくこの業界は年収が高いんだとか、この業界は仕事がでかいんだっていうのはわかった状態でしたが、やっぱりいろんな業界を見たいなぁと思って、合同説明会になるべく行くようにしました。
何個か会社を見ていくと、この業界は、ソリに合わないなあっていう業界が見えてきたり、逆にこの業界の人たちめちゃくちゃ気合うなあっていうのが商社でした。
しかも商社に関しては、
同じ社内にたくさんの部署があって、海外勤務が前提っていうところでいろんな人の考え方に触れることができるっていうのが割とクリアできていましたし、
新規事業創造っていうところで三方良しだったり、新しいビジネスだったり、サプライチェーンの構築というところがすごい自分の希望に沿っているなぁと思って見ていました。
実際ほかの会社のインターンに行ってもめっちゃ商社マンぽいなーって言われまくっていたので多分向いていたんでしょうね。
まぁ、そんなこと言いながら、しっかりと情報を集めたかったですし、手っ取り早く社員さんに会って話したかったのでインターンにも多く参加しました。
ちなみに結果的に僕が入った会社は初めから興味があったわけじゃなくて、
たまたま名前の知っている会社が
たまたま理系が入れる営業職の募集をしていて
そのインターンのがた広告が自分の目についたから
とりあえず申し込んでインターンに行って興味を持ったという流れですね。
今の仕事は技術営業という職種で上に書いた、
部活をやってきて対人能力にも自信がありますし、熱量は任せろ!っていうところ
と
理系出身なので技術のこともできます!
っていう両側面を混ぜ合わせて少し特別な仕事をするっていうところで、面白いなあと思って受けていました。
〇やりがいとは?
あとは自分の中で考えていたのは
めちゃくちゃ大きい規模の仕事の一部分だけ自分でやって、その部分の範囲で工夫をするのか
少し小さい規模でもいいので自分の工夫ができる範囲が広くて、やってる感のある仕事ができるのか
どっちがいいのかって言うのを考えていました。
上の②に深く関わってくるところなんですが、自分にとって仕事のやりがいとしてかなり大きなウエイトを占めているのがこの部分でして、特に重要視していますし結局のところは上の二択で言うと後者を選びました。
自分がやりたくない仕事を考えたときにどんな仕事かって考えると
自分がやった時と自分じゃない人がやった時に同じような結果が出るような仕事は絶対に嫌だ
と思ったんです。だってそれ自分がやる意味じゃなくてほかの人でもできる仕事じゃないですか。じゃなくて
自分がやったからこそこの仕事はこういう仕上がりになりました
と、そういうやる人によって変化が生まれるような仕事に就きたいなというふうに強く願っていました。
仕事をやる意義というところについては僕はその部分をすごい大事にしてますし、これからも大事にしていこうと考えているところです。
〇さいごに
この辺を就活の軸として就活していた結果、商社だったりベンチャーだったりメーカーだったりインフラ系だったりいろんな会社を結局受けることになりまして、今私が勤めている企業に入社したという流れになります。
ツイッターでリクエストしてくれた子のために書いたブログになったんですが、自分自身も初心を思い出しながら書くことができて、また仕事がんばろうかなという気になりました!
かなり長文になってしまいましたが、ここまで読んでくださった皆さんありがとうございました。
また次回お会いしましょう!スナギツネでした!